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- 天神坂
- 小立野から椿原神社の横を通り、浅野川の川岸平地に続く坂道です。
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- 金沢
- 三光寺
- 【浄土宗】明治11年(1878)、大久保利通を東京の紀尾井町で暗殺した島田一良たちの集会所であったことで知られています。そのため事件の首謀者たちは「三光寺派」と呼ばれました。山門は平成3年(1991)に石の仁王門として現住職自ら制作し再建。
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- 金沢
- 鶴林寺
- 【曹洞宗】開山は大乗寺三代明峰和尚の弟子大智。延元年間(1336~40)、石川郡吉野谷村に祇陀寺を建立されました。後年、越中(富山県)守山に再興され、さらに金沢八坂に移り、三代利常の命で鶴林寺と称するようになりました。十四代暖源の時、前田家の祈願所となりまし…
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- 金沢
- 坪野哲久・山田あき歌碑
- 故郷を想う歌人の碑
- 志賀町立図書館横の小さな公園に、志賀町出身で能登を愛した歌人・坪野哲久(つぼのてっきゅう)と、能登を第二の故郷とした山田あきの歌碑が建てられています。歌碑の内容「蟹の肉せゝりくらえばあこがるゝ生れし能登の冬潮の底哲久」「きみとみるこの夜の秋の天の川…
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- 能登
- 小松市立登窯展示館
- 八幡最後の登窯
- 連房式登窯や、地元九谷焼作家の九谷焼を見ることができます。連房式登窯は、丘陵の傾斜面を階段状に整地し、焼成室を連続して構築した地上式の窯です。本館に保存されている連房式登窯は、八幡における最後の登窯として、昭和40年頃まで使用されていたものです。近代…
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- 加賀
- 二十人坂
- 藩政時代、足軽二十人組が住んでいたことから名付けられた二十人坂。一本松陸橋の下には川は流れず、地域住人の生活道路が立体交差しています。春にはサクラが美しい場所です。
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- 金沢
- 大聖寺ボランティアガイドクラブ(加賀あいりすガイド)休止中
- 現在活動を休止しています
- 大聖寺藩十万石の”小さな城下町”をご案内。春は熊坂川の桜、秋は「実性院」の白萩、季節ごとにさまざまな見どころがある大聖寺。重要文化財の「長流亭」をはじめ「石川県九谷焼美術館」や「山の下寺院群」、「深田久弥山の文化館」など見学施設も充実して…
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- 加賀
- MAGNOLI
- 国の重要伝統的建造物群保存地区である東谷地区の一部「杉水(すぎのみず)町」で焼き菓子をいただける人気カフェです。開店前から行列ができることもあります。土蔵を改装したお店は、大きな木々に囲まれた雰囲気のある佇まいです。 ショーケースには、さまざま…
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- 加賀
- 天神町通り
- 藩政時代、農民が馬を引いてしばしば上り下りしたことからその名がついた馬坂から、菅原道真を祀(まつ)り、「天満様」と呼ばれる椿原神社に至る古い家並が続く通りです。椿原神社から小立野台へと上る坂は、天神坂と呼ばれています。
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- 金沢
- 吉光の一里塚
- 一里塚は古代中国にならって織田信長が始めた制度です。1604(慶長9)年、徳川秀忠は東海・北陸など官道に塚を築きました。江戸日本橋を基点にして、一里(約4キロ)ごとに五間(約9メートル)四方の塚を道路の両側に築き、その上に樹木を植えて道標としたのです。県…
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- 加賀
- 稱名寺
- 梵鐘は、戦中の金属類回収令の際に文化財的価値のある名鐘として供出をまぬがれた。明和六年(1769)作の古文書「烏兎記」(太陽と月及歳月を意味した日記)がある。打越山勝光寺十一代門主の日々の行動などを見聞したことが、一年分の日記として記録されている。
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- 加賀
- 棟岳寺
- 【曹洞宗】明応元年(1492)、越前南条郡領主・赤座長秋が父母の供養のために建立しました。慶安2年(1649)三代利常より寺地を拝領。前田家の御典医・江間家の菩提寺でもあり、日本最初のオランダ医学の先駆者、吉田長淑などの墓所があります。
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- 金沢
- 道閑公園
- 村民のために犠牲のなった義民
- 1656(慶安4)年、加賀藩3代藩主前田利常の農地改作法による検地に、農民と共に反対した十村頭の園田道閑にまつわる公園です。
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- 能登
- 中居たたら唄
- 中居は鋳物によって栄えましたが、その労働歌としての「たたら唄」を今に伝えています。かつて鉄を溶かすたたら(吹子)を6人ないし8人で踏みながら、音頭に合わせて威勢よい掛声で力強く歌ったといいます。調べは素朴ですが、郷土芸能として特色あるものです(町文化…
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- 能登
- 経王寺
- 【日蓮宗】慶長6年(1601)、三代利常の生母・寿福院が養仙院日護を招いて創建しました(但し、開山は寿福院の異母兄・善住院日淳)。後年、火災にあったが正保4年(1647)、寿福院十七回忌にあたり利常が再建しました。加賀騒動のヒロインお貞(真如院・六代吉徳の側室)の墓…
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- 金沢
- 中居まだら唄
- まだらは曼陀羅ともいわれ、全国各地の港の祝儀唄として歌われ、九州方面から伝播したともいわれています。中居では松前船の下だり上ぼりの往来で伝えられたのでしょうか。中居港の起舟祝は旧正月の11日年頭に初めて舟を出す儀礼として、船主が船頭や水夫などを招き催…
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- 能登
- 和倉小唄
- いつの頃からか和倉温泉旅館のお座敷で唄われていた小唄です。唄は3番まであり、和倉温泉の風景や風情をうたった内容となっています。歌詞の内容が全く違う「和倉小唄(なぎさいろどる)」も存在しています。和倉小唄の唄に合わせた踊りもありますが、現在は検番組合…
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- 能登