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光専寺
【真宗大谷派】文明年間(1469~87)、僧・慶緑が蓮如上人に従って加賀を布教した折、石川郡で創建。3世・慶俊の時、佐々成政の重臣・黒川又右衛門が当寺に入って僧となり4世となりました。慶珍は本願寺と誓願寺の紛争の際に本願寺のために功を成しました。
光専寺
  • 金沢
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高源院
【曹洞宗】開山の春尭和尚が初代利家の息女・福姫の縁類となったことを感謝して寛永18年(1641)、大豆田に建立しました。福姫の戒名より高源院と称しました。万治2年(1659)当地に移転。金沢西国29番の霊所です。毎年7月1日には「一ツ灸」が執行されます。
高源院
  • 金沢
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光覚寺
【浄土宗西山禅林寺派】城内の新丸の内、塩屋町を経て現在地に移転しました。敷地に山腹を取り入れた静閑な佇まいを今も守っています。本尊阿弥陀如来立像は俊寛僧都の守本尊と伝えられています。本堂の永国山の額は、後西院天皇の11皇女宝鏡宮(本覚院宮)の御筆です。
光覚寺
  • 金沢
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慶恩寺
【真宗大谷派】延徳3年(1491)の創建と伝えられています。僧慶心は金沢御堂の建立にともない本願寺の命を受け御堂衆を務めました。その後、越中から飛騨を布教し、90才で飛騨白川村加須良に示寂しました。木ノ新保から犀川河原町を経て万治元年(1658)、現在の地に移り…
慶恩寺
  • 金沢
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旧奥村家上屋敷土塀(金沢医療センター土塀)
加賀藩家老の八家、通称「加賀八家」のひとつである奥村家の屋敷跡の土塀です。家祖・奥村永福(ながとみ)は前田利久(加賀初代藩主前田利家の兄)に仕え荒子城代を務め、加賀藩初代藩主前田利家が前田家を相続した際に前田家を一旦、辞します。再び利家に仕えたのは天正…
旧奥村家上屋敷土塀(金沢医療センター土塀)
  • 金沢
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開禅寺
【曹洞宗】慶長4年(1599)に、二代利長と共に高岡から移転。加賀八家の一つ長家の菩提寺であり、六代善連、七代連起、八代連愛ら一族が葬られています。長連龍の娘で、利長の養女となり、前田美作守直知の継妻となった久香院(求光院)の墓もあります。
開禅寺
  • 金沢
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寳勝寺・寳勝寺カフェ
【臨済宗】美濃(岐阜県)の禅僧・千岳宗仞禅師が創建した寺。千岳禅師は三代利常からの信頼が厚く、また能筆で文章力にも優れていたため、利常から小松の梯天満宮棟札の揮毫を命じられました。山門および本堂は創建当初の建物と考えられています。お寺の中にはカフェが…
寳勝寺・寳勝寺カフェ
  • 金沢
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旧新町界隈
武蔵ヶ辻から橋場町へと続く大通りの北側に位置し、尾張町の拡大に伴い新しく町立てされたことにその名が由来する「旧新町」。隣接する主計町、並木町とともに、浅野川界隈に栄えた商業・文化活動の舞台となったこの町を訪れると、赤や黒に彩られた外壁や連なる格子戸…
旧新町界隈
  • 金沢
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銭屋五兵衛句碑
銭屋五兵衛の詠んだ句が刻まれた石碑です。銭屋五兵衛は、安永3年(1773)に加賀国宮腰(現在の金沢市金石)に生まれました。江戸時代末期、北前船船主として本格的に海運業に乗り出し、“海の豪商”“海の百万石”と称されました。藩の財政に尽くし河北潟の埋立に着…
銭屋五兵衛句碑
  • 金沢
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高浜虚子句碑(内灘町)
1956年(昭和31年)、俳人・高浜虚子が内灘町に来町したのを記念して句碑が建てられました。内灘中学校正門脇にあり、碑には「東西南北星の流るる夜なりけり」と内灘でうたった句が刻まれています。
高浜虚子句碑(内灘町)
  • 金沢
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承証寺
境内で剣道の素振り稽古やお焼香体験ができる「朝活」「夕活」プランを実施しています。詳しくは「かなざわ自由時間」をご覧下さい。【法華宗】寺内の鬼子母神堂には安宅関の沖合より浮かび上がったといわれる鬼面があり、年1回節分会に開帳されます。本堂板戸に描か…
承証寺
  • 金沢
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林幽寺
【真宗大谷派】慶長15年(1610)、僧了善が石川郡窪村で創建しました。享保17年(1732)、現在地に移転しました。鎌倉時代の作である聖徳太子2歳の木像仏を安置しています。
林幽寺
  • 金沢
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龍徳寺
【曹洞宗】正保4年(1647)の創建で、天徳院二代竜睡が開山であり、僧恕竜が開基です。後一時無住の寺となったが、天徳院五代の良因によって再興されました。
龍徳寺
  • 金沢
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立正寺
【法華宗】承応2年(1652)、光要院日達上人を開山として、源入山本光寺を創建しました。前田家に仕えた勤王の志士・不破富太郎、金沢の経済発展に多大な貢献をした明治初期の貿易商・圓中孫平の各墓所があります。昭和初期に現山号・寺号としました。
立正寺
  • 金沢
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一閑院
【曹洞宗】一閑院は寛永8年(1631)宝円寺五代泰山が、鶴来村に建立、明治5年(1872)、現在地に移転した曹洞宗の名刹です。禅師は戦国大名朝倉義景の第三子で名刹宝円寺の住職を務め、総持寺を大本山に格上げする功績を残し、晩年一閑院に過ごしました。
一閑院
  • 金沢
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望湖台(卯辰山公園)
標高141mの望湖台からは、金沢の黒光りする屋根瓦の町並みや日本海・白山連峰まで一望することができます。江戸時代には、城を見下ろす場所であったため一般の入山は禁止されていました。
望湖台(卯辰山公園)
  • 金沢
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蓮華寺
【日蓮宗】寺宝には大曼荼羅、虚空蔵菩薩があります。この虚空蔵菩薩像は行基菩薩の作と言われ、約1,300年の間に奈良より京都・金沢を経て七尾に至り、藩政初期、蓮華寺に安置されたと寺記にあります。絵画・陶芸・漆芸などの関係者によって深く信仰されています。
蓮華寺
  • 金沢
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立像寺
【日蓮宗】創建に三代利常の祖母・寿命院の再婚先小幡家が木材を寄進。そのため小幡家の定紋松皮菱が欄間に彫られています。第22世日輝上人が子弟訓育のための充治園を創設。日蓮宗近世教学の発祥地とも言われました。境内にはキリシタン灯篭があります。
立像寺
  • 金沢
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龍渕寺
【曹洞宗】天正10年(1582)、尾張にて創建。摂津に移転の後、加賀藩家臣・前田長種を介し犀川川原に寺地を拝領し再建。境内には三代利常の命による藩主公用の竹林が残っています。書家・独角宗麟や、加賀古流生花の始祖・近藤理清の墓などがあります。
龍渕寺
  • 金沢
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永福寺
【浄土宗】当初、珠洲郡上戸村にあったが、泉野の地で寺領を拝領し、天明元年(1781)当地に移りました。中興は弁誉和尚であり、現在の建物は江戸後期のものです。
永福寺
  • 金沢
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