検索結果

91件ありました
並び順
人気順(週間)
近い順
更新順
表示切替
タイル
リスト
マップ
石川四高記念文化交流館 ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により休館中
有料ゾーンの「石川近代文学館」と無料ゾーンの「石川四高記念館」から成ります。国の重要文化財である赤レンガ建築の雰囲気を生かした「学びと触れ合いの空間」です。2023年9月にオープンしたレトロ衣装体験ルーム「Retrism」では、アンティーク着物や女学生スタイル…
石川四高記念文化交流館 ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により休館中
  • 金沢
detail_4651.html
大聖寺城址
織豊時代の領主本城としては県内唯一の遺存例
大聖寺市街地の西端、通称錦城山にある城跡で、藩政期には古城山といわれています。南北朝時代の『太平記』が初見である。その頃の城跡は錦城山背後の津葉城であったといわれています。以後度々合戦の舞台となったが、この地が水陸交通の要衝であり越前国境にも近く、…
大聖寺城址
  • 加賀
detail_5781.html
珠姫の寺 天徳院
良縁祈願・家庭円満のご祈願には、珠姫の菩提寺「天徳院」へ
徳川家と前田家を結び、加賀藩の繁栄に貢献した珠姫は、良縁や家庭円満の象徴として天徳院に祀られています。珠姫と側室をもたなかった利常との愛の結晶である子どもたちが、前田家や日本各地での発展に寄与しました。天徳院では珠姫の半生を描いたからくり人形「珠姫…
珠姫の寺 天徳院
  • 金沢
detail_5773.html
魯山人寓居跡 いろは草庵
若き魯山人の息づかいを感じる… 魯山人寓居跡 いろは草庵 金沢の文人・細野燕台の食客となった魯山人は、大正4年秋から翌年春までの約半年間、山代温泉に滞在し、菁華窯などの刻字看板を彫った。 その寓居を当時そのままに公開しているのが、「いろは草庵」で…
魯山人寓居跡 いろは草庵
  • 加賀
detail_6788.html
明治の館〈室木家〉【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
室木家は、江戸時代には回船問屋や酒造業を営み、近代では国会議員を務めていました。豪壮な合掌組入母屋造りで茅葺の住宅が「明治の館」として公開されています。
明治の館〈室木家〉【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
  • 能登
detail_6173.html
重要文化財 喜多家住宅
喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で、江戸中期に禄を離れ加賀に移住しました。その後野々市で灯油の製造販売を生業とし、屋号を油屋といい幕末からは酒造業を営んだ旧家です。1891(明治24)年野々市の大火で罹災し、現住居の新築にあたって金沢市材木町の醤油…
重要文化財 喜多家住宅
  • 金沢
detail_5187.html
阿岸本誓寺(アギシコギクザクラ)
春にはアギシコギクザクラが咲き誇る
能登最大級で最古といわれる、浄土真宗の寺院です。旧藩時代に触頭(ふれがしら)の格付をもった古寺で、前田藩からの通知を各寺院へ伝達するなど、重要な役割を果たしました。現存する本堂は、寛政4(1792)年に再建立されたものですが、寺の開山はさらにさかのぼる…
阿岸本誓寺(アギシコギクザクラ)
  • 能登
detail_4489.html
国史跡 御経塚遺跡
縄文時代のロマンを今に伝える
今から3,700年から2,500年前、縄文時代の後期から弥生時代初頭にかけて集落があったとされる場所が御経塚遺跡です。1000年以上も続いていた生活の中で、人々は周辺の森でとれたクリ、トチ、ドングリの木の実のほかシカやイノシシ、魚介類を食べていたと考えられていま…
国史跡 御経塚遺跡
  • 金沢
detail_21016.html
金沢湯涌江戸村
金沢の奥座敷として親しまれる湯涌温泉の自然の中で、江戸時代の金沢城下町や加賀藩地域の民家を公開しています。国・県・市の指定文化財である農家や町家など、江戸期の建物を通して当時の暮らしを感じることができます。毎月民家を活用した企画を行っており、金沢を…
金沢湯涌江戸村
  • 金沢
detail_5072.html
多太神社・多太神社宝物館
芭蕉も感激した「実盛の兜」
木曾義仲との合戦に敗れ、最期を遂げた平家の武将・齋藤別当實盛の兜(国指定重要文化財)が保存されています。源平合戦から500年後、「奥の細道」の道中に多太神社を訪れた松尾芭蕉は兜を見て「むざんやな甲の下のきりぎりす」と句を詠み、實盛をしのんだと言われて…
多太神社・多太神社宝物館
  • 加賀
detail_5751.html
金沢市老舗記念館
歴史ある薬屋を当時のまま再現
藩政時代からの薬種商「中屋薬舗」の建物を移築した館。1階は当時の店先を再現した「みせの間」、おえの間、書院の間、茶室があり、2階は金沢老舗百年会の協力で、各老舗に伝わる生活諸道具や町民文化に関する資料が展示されています。また、花嫁のれん、結納の加賀水…
金沢市老舗記念館
  • 金沢
detail_5018.html
九谷焼窯跡展示館
歴史を感じる窯跡でとっておきな時間を
江戸時代に造られた九谷窯跡や、現存最古の九谷窯を見ることができます。九谷焼の蔵元が実際に代々住居兼工房として使っていた古民家で、九谷絵付け体験やロクロ体験をしてみてはいかがでしょうか。「古九谷」が廃絶後、大聖寺の豪商「吉田屋伝右衛門」によって、文政…
九谷焼窯跡展示館
  • 加賀
detail_5252.html
江沼神社 長流亭
大聖寺藩主の休息所として宝永6年(1709)に上棟、藩邸の庭園の一隅に大聖寺川を臨むように建築された遠州好みといわれる亭舎です。当初は「川端御亭」と呼ばれていたが後に利直の雅名からとって「長流亭」と称されました。昭和25年文化財保護法の施行により重要文化…
江沼神社 長流亭
  • 加賀
detail_5812.html
金沢市西茶屋資料館
華やかなにし茶屋街の雰囲気が楽しめる施設
にし茶屋街の一角に佇む金沢市西茶屋資料館。大正期の作家・島田清次郎が過ごしたお茶屋「吉米楼」の跡地に建てられています。1Fには島田氏に関する貴重な資料などを展示。2Fでは漆塗りの装飾品など、当時の雰囲気が感じられる豪華なお茶屋の様子が再現されています。…
金沢市西茶屋資料館
  • 金沢
detail_6028.html
浅井畷古戦場
北陸の「関ケ原」
浅井畷の戦いは、北陸における「関ヶ原の戦い」として、慶長 5 年(1600)に東軍方の金沢城主・前田利長と、西軍方の小松城主・丹羽長重が戦った合戦です。古戦場には戦死した九士の石塔が建てられています。
浅井畷古戦場
  • 加賀
detail_4466.html
小松城本丸櫓台石垣
1639(寛永16)年、加賀藩三代藩主前田利常は、家督を嫡子の光高に譲り、自らは小松に隠居することを幕府に願い出て許されました。あわせて、一国一城令の例外として、小松城を修築・拡張して隠居城とすることも許されました。翌年6月、利常は小松に入城。9月に城の修…
小松城本丸櫓台石垣
  • 加賀
detail_5373.html
あめの俵屋
1830(天保元)年創業のあめ屋です。初代次右衛門が、乳飲み子を抱えながらも母乳が出ず、困り果てていた母親たちの姿を見て、何とか母乳の代わりになる栄養価の高い食品はないかと考えた末に作り上げたのが、「俵屋のあめ」のはじめといわれています。
あめの俵屋
  • 金沢
detail_4557.html
歴史国道「北陸道 倶利伽羅峠」
古代から官道・五畿七道の1つに数えられ、都に通ずる道として重要な役割を担ってきました。また、江戸時代には加賀藩の参勤交代の道として整備され、今でも往時の文化財や風情などがそのまま残されています。1995(平成7)年、その面影を色濃く残す津幡町竹橋~富山県…
歴史国道「北陸道 倶利伽羅峠」
  • 金沢
detail_6774.html
西田家庭園 玉泉園
兼六園より約120年古い歴史を持つ加賀藩ゆかりの庭園
流氷や池、数百種の草木により構成された池泉回遊式の庭園で、兼六園の造園開始時期より古く、約400年前にさかのぼります。園内には金沢最古の茶室「灑雪亭(さいせつてい)」があり、茶道体験を楽しむことができます。
西田家庭園 玉泉園
  • 金沢
detail_6025.html
能登国分寺展示館
国分寺は、鎮護国家のために聖武天皇の詔(みことのり=天皇の命令)によって全国に建立されました。能登国分寺は、843(承和10)年に豪族の氏寺を転用した国分寺で、古代能登国の中心寺院として400年間栄えました。能登国分寺展示館は、国史跡「能登国分寺跡」に隣接…
能登国分寺展示館
  • 能登
detail_6099.html
ページトップへ