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芦城公園
桜の名所として知られる小松のセントラルパーク
加賀三代藩主前田利常の居城であった小松城の三の丸跡に作られました。博物館をはじめ、美術館、図書館、茶室などの文化施設を有し、中央には二つの池と滝、それらを結ぶせせらぎを中心に池の後背に築山を配した池泉回遊式庭園となっています。松の名木をはじめ、桜や…
芦城公園
  • 加賀
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秋常山史跡公園
1600年前に造られた北陸最大級(全長約140メートル)の前方後円墳(秋常山1号墳)と、埴輪(はにわ)を持つ方墳(秋常山2号墳)の2基の古墳が保存されています。1号墳では、墳丘を覆っていた葺石(ふきいし)を、2号墳では埴輪が復元されており、その埋葬施設を間近で…
秋常山史跡公園
  • 加賀
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国指定重要文化財 志摩
江戸時代のままに残っているお茶屋の建物
文政3年(1820)に建てられたままに残るお茶屋の建物で、二階を客間とし遊芸を主体としたお茶屋特有の繊細で優美な造りとなっており、国の重要文化財に指定されています。別棟の「寒村庵」にて庭を見ながらお抹茶も頂けます。(有料)
国指定重要文化財 志摩
  • 金沢
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国史跡 御経塚遺跡
縄文時代のロマンを今に伝える
今から3,700年から2,500年前、縄文時代の後期から弥生時代初頭にかけて集落があったとされる場所が御経塚遺跡です。1000年以上も続いていた生活の中で、人々は周辺の森でとれたクリ、トチ、ドングリの木の実のほかシカやイノシシ、魚介類を食べていたと考えられていま…
国史跡 御経塚遺跡
  • 金沢
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金沢湯涌江戸村
金沢の奥座敷として親しまれる湯涌温泉の自然の中で、江戸時代の金沢城下町や加賀藩地域の民家を公開しています。国・県・市の指定文化財である農家や町家など、江戸期の建物を通して当時の暮らしを感じることができます。毎月民家を活用した企画を行っており、金沢を…
金沢湯涌江戸村
  • 金沢
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重要文化財 喜多家住宅
喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で、江戸中期に禄を離れ加賀に移住しました。その後野々市で灯油の製造販売を生業とし、屋号を油屋といい幕末からは酒造業を営んだ旧家です。1891(明治24)年野々市の大火で罹災し、現住居の新築にあたって金沢市材木町の醤油…
重要文化財 喜多家住宅
  • 金沢
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明治の館〈室木家〉【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
室木家は、江戸時代には回船問屋や酒造業を営み、近代では国会議員を務めていました。豪壮な合掌組入母屋造りで茅葺の住宅が「明治の館」として公開されています。
明治の館〈室木家〉【令和6年能登半島地震の被害により、当面の間休館いたします】
  • 能登
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古墳公園とりや
北陸最大規模の群集墳。古代の歴史を感じながら親子で遊べる公園です。
中能登町は埋蔵文化財がとても多く、中でも古墳の数は石川県全体の一割を占めており、約350基あります。このうち、川田地区周辺の里山に約150基が集中しています。この群集墳は北陸最大規模で、研究者の注目を浴びるほどです。古墳公園とりやには、前方後円墳をかたど…
古墳公園とりや
  • 能登
detail_5347.html
魯山人寓居跡いろは草庵
北大路魯山人滞在の吉野屋別荘
大正4年10月、北大路魯山人(当時は福田大観)は金沢の文人・細野燕台の紹介で老舗旅館吉野屋、九谷焼須田菁華の刻字看板を彫るため山代温泉を訪れ、吉野屋の別荘を仕事場として数か月滞在しました。その間、菁華窯で初めて作陶に接し、また北陸の美味に触れ、山代温…
魯山人寓居跡いろは草庵
  • 加賀
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九谷焼窯跡展示館
歴史を感じる窯跡でとっておきな時間を
江戸時代に造られた九谷窯跡や、現存最古の九谷窯を見ることができます。九谷焼の蔵元が実際に代々住居兼工房として使っていた古民家で、九谷絵付け体験やロクロ体験をしてみてはいかがでしょうか。「古九谷」が廃絶後、大聖寺の豪商「吉田屋伝右衛門」によって、文政…
九谷焼窯跡展示館
  • 加賀
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東酒造株式会社
蔵見学や試飲等が行なえます(要予約)
蔓延元年(1860年)創業の「神泉」。酒蔵は2009年には国登録有形文化財に指定され、2017年は小松市の石文化『珠玉と歩む物語』の日本遺産の構成文化財として認定されました。 酒造りに関わる全ての要素が石川県産にこだわることをモットーとし、石川の地酒らし…
東酒造株式会社
  • 加賀
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江沼神社 長流亭
大聖寺藩のお殿様の夏の休憩所
大聖寺藩三代藩主前田利直の休息所として、1709(宝永6)年に、藩邸の庭園の一隅に大聖寺川を臨むように建築された亭舎です。当初は「川端御亭」と呼ばれていましたが、後に利直の雅名からとって「長流亭」と称されました。建物は、桁行5間(9.5メートル)梁間4.5間(…
江沼神社 長流亭
  • 加賀
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多太神社・多太神社宝物館
芭蕉も感激した「実盛の兜」
木曾義仲との合戦に敗れ、最期を遂げた平家の武将・齋藤別当實盛の兜(国指定重要文化財)が保存されています。源平合戦から500年後、「奥の細道」の道中に多太神社を訪れた松尾芭蕉は兜を見て「むざんやな甲の下のきりぎりす」と句を詠み、實盛をしのんだと言われて…
多太神社・多太神社宝物館
  • 加賀
detail_5751.html
阿岸本誓寺(アギシコギクザクラ)
春にはアギシコギクザクラが咲き誇る
能登最大級で最古といわれる、浄土真宗の寺院です。旧藩時代に触頭(ふれがしら)の格付をもった古寺で、前田藩からの通知を各寺院へ伝達するなど、重要な役割を果たしました。現存する本堂は、寛政4(1792)年に再建立されたものですが、寺の開山はさらにさかのぼる…
阿岸本誓寺(アギシコギクザクラ)
  • 能登
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浅井畷古戦場
北陸の「関ケ原」
浅井畷の戦いは、北陸における「関ヶ原の戦い」として、慶長 5 年(1600)に東軍方の金沢城主・前田利長と、西軍方の小松城主・丹羽長重が戦った合戦です。古戦場には戦死した九士の石塔が建てられています。
浅井畷古戦場
  • 加賀
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歴史国道「北陸道 倶利伽羅峠」
古代から官道・五畿七道の1つに数えられ、都に通ずる道として重要な役割を担ってきました。また、江戸時代には加賀藩の参勤交代の道として整備され、今でも往時の文化財や風情などがそのまま残されています。1995(平成7)年、その面影を色濃く残す津幡町竹橋~富山県…
歴史国道「北陸道 倶利伽羅峠」
  • 金沢
detail_6774.html
道閑刑場跡
中能登町久江にある道閑が処刑された刑跡です。17世紀、長家の家臣団の内紛が原因で検地反対運動が起こり、首謀者とされる久江村の豪農園田道閑が断罪に処せられました。これが世にいう「浦野事件」です。道閑は、久江村の村端で磔(はりつけ)にされ、3人の男子も首…
道閑刑場跡
  • 能登
detail_5403.html
旧角海家住宅
北前船交易で栄えた船主の邸宅
黒島は、北前船の船主や船員の集落として栄えたところです。ここには多くの廻船問屋があり、角海家もその1つでした。幕末から明治中期にかけ7艘の北前船を所有し、北海道から大阪にかけて幅広く活躍しましたが、廻船業が下火になると漁業や金融業に生業をかえて活躍し…
旧角海家住宅
  • 能登
detail_4973.html
遊泉寺銅山跡
現在の小松市鵜川町の山中に、徳川時代に発見された「遊泉寺銅山」の跡地があります。1902(明治35)年、この銅山の本格的経営に乗り出したのが、高知県出身で吉田茂元首相の実兄だった竹内明太郎でした。明太郎は、全国各地での鉱山経営の経験を生かし、専用鉄道の敷設…
遊泉寺銅山跡
  • 加賀
detail_6703.html
雨の宮古墳群
登れる古墳
雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188メートル)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古墳から成っています。最も高い場所にある通称「雷ヶ峰」に位置する1号墳は、墳丘の長さが64メートルの前方後方墳で、県内最大規模を誇っています。墳丘…
雨の宮古墳群
  • 能登
detail_4559.html
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「令和6年能登半島地震」の影響による掲載内容の注意点
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