遊泉寺銅山跡
現在の小松市鵜川町の山中に、徳川時代に発見された「遊泉寺銅山」の跡地があります。1902(明治35)年、この銅山の本格的経営に乗り出したのが、高知県出身で吉田茂元首相の実兄だった竹内明太郎でした。
明太郎は、全国各地での鉱山経営の経験を生かし、専用鉄道の敷設(遊泉寺-小松間約8キロ)、小型溶鉱炉真吹法の採用など、近代的な経営手腕により業績を上げ、最盛期の大正初期には、従業員とその家族5000人の鉱山町を作り上げました。
この遊泉寺銅山が、小松市の鉄工機械工業の発展の礎を築いたのです。
その後、遊泉寺銅山は経済環境の変化から1920(大正9)年に閉山となりましたが、明太郎は小松鉄工所を経て1921(大正10)年に資本金100万円で小松製作所(現コマツ)を立ち上げたのです。その貴重な遺産を後世に伝えようという動きが地元で高まっています。
鵜川町の静かな山あいにある広場には、美しく整備された記念碑や明太郎の銅像、バイオ式トイレや駐車場も整備されています。
広場から数百メートル歩くと、精錬所跡の高さ20メートル直径2.5メートルの大煙突が見えてきます。レンガで積み上げたもののようですが、今ではツタに覆われ美しい緑の煙突になっています。
このほか竪坑跡や廃鉱を捨てた砂山、機械の据え付け台など往事をしのばせる遺構をいくつも見ることができます。
明太郎は、全国各地での鉱山経営の経験を生かし、専用鉄道の敷設(遊泉寺-小松間約8キロ)、小型溶鉱炉真吹法の採用など、近代的な経営手腕により業績を上げ、最盛期の大正初期には、従業員とその家族5000人の鉱山町を作り上げました。
この遊泉寺銅山が、小松市の鉄工機械工業の発展の礎を築いたのです。
その後、遊泉寺銅山は経済環境の変化から1920(大正9)年に閉山となりましたが、明太郎は小松鉄工所を経て1921(大正10)年に資本金100万円で小松製作所(現コマツ)を立ち上げたのです。その貴重な遺産を後世に伝えようという動きが地元で高まっています。
鵜川町の静かな山あいにある広場には、美しく整備された記念碑や明太郎の銅像、バイオ式トイレや駐車場も整備されています。
広場から数百メートル歩くと、精錬所跡の高さ20メートル直径2.5メートルの大煙突が見えてきます。レンガで積み上げたもののようですが、今ではツタに覆われ美しい緑の煙突になっています。
このほか竪坑跡や廃鉱を捨てた砂山、機械の据え付け台など往事をしのばせる遺構をいくつも見ることができます。
タグ
- 旅のテーマ
- #神社仏閣
基本情報
- 所在地
- 〒923-0063 石川県小松市鵜川町地内
- お問い合わせ先
- 小松市観光交流課
- 電話番号
- 0761-24-8076
- FAX番号
- 0761-23-6404
- 営業時間/期間
- 年中無休(終日)
ガイドに関しては要予約
(ご依頼は、ガイド日の3ヶ月前~1週間前まで) - 料金
- 無料
- アクセス(車)
- JR小松駅から車で約15分
北陸自動車道小松ICから車で約25分 - アクセス(公共)
- ・JR小松駅より路線バスハニベ線 乗車→「ハニベ前」下車 徒歩約20分
- 駐車場
- あり(普通車18台)
- 所要時間
- 30分~
- 関連リンク
- 公式サイト
- 備考
- 【その他】
冬季期間(11月末から3月上旬)まで、バイオ式トイレは閉鎖する
※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。