重要文化財 喜多家住宅
喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で、江戸中期に禄を離れ加賀に移住しました。その後野々市で灯油の製造販売を生業とし、屋号を油屋といい幕末からは酒造業を営んだ旧家です。
1891(明治24)年野々市の大火で罹災し、現住居の新築にあたって金沢市材木町の醤油屋の主屋を買い求め移転、同年11月に完成しました。
この住宅は、通りに面して間口7間半もある大型町家で、奥行き7間にわたって2階を設けています。移築の際に、座敷周りが整備されたほかは移築前の旧態を各部によく残しています。
構造手法から推測すると19世紀中ごろに造られたようです。平面は通り土間式で、土間沿いは前面に板敷きの帖場(みせ)、奥に5間通しの広い「おえ」があります。土間境は間仕切りを作らず、上がり框(かまち)だけで開放的になり、広い空間を演出しています。
この部分はまた2階が設けられず吹き抜けになるので、縦横に架けられた大梁や梁行に架かる二重梁、三重梁、その間に2段に貫が通る小屋束などの構造が仰ぎ見られ、意匠的にも洗練されています。
通りに面した外観は、細い縦格子や庇(ひさし)の「さがり」、二階の妻にみられる腕木に支えられた袖壁など、加賀の町家の典型的なものであり、また建物自体も上質で、石川県で遺存する町家の中では年代も古い貴重なものです。
なお、道具倉は明治に罹災し改築を受けており、主屋と違って移築したものではありませんが、町家の外観を示す一要素であり、併せて指定保存が図られました。
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