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- うるしの器 あさだ
- 山中漆器の製造販売をしています。生活の中で身近に使える山中漆器を提案しています。山中伝統の木地(ろくろ挽)から漆を塗る作業までこちらの工房で行っています。気軽に入れる店内には国産の木にこだわった漆器類が並んでいます。漆器の伝統を受け継ぎながらもカジ…
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- 加賀
- 大伴家持歌碑(羽咋市千里浜町)
- 歌碑には「之乎路(しおじ)から直越(ただこ)え来れば羽咋の海朝凪(あさなぎ)したり船梶(ふねかじ)もがも」と刻まれています。これは748(天平20)年、万葉の歌人大伴家持が越中の国司の身で能登をめぐった際、気多大社におもむく時に作った歌です。家持はこの…
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- 能登
- 角偉三郎美術館
- 能登の地で、常に木や漆の新しい「かたち」を追求した漆作家に、角偉三郎がいます。角氏の作品を豊富に揃えて、常設展示しています。
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- 能登
- 久麻加夫都阿良加志比古神社
- 俗称熊甲神社です。作者、年代とも不詳ですが、藤原時代の造像とみられる久麻加夫都阿良加志比古神社座像は、国の重要文化財です。例大祭の熊甲二十日祭(9月20日)は、数多い能登の祭りの中で奇祭として知られる勇壮な祭りです。
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- 能登
- 正覚院
- 気多の神のお告げを受け創建。
- 泰澄大師が気多の神のお告げを受けて創建したと伝わる寺院。1000年以上にわたり気多大社の神宮寺としての役割を担いました。明治初頭の神仏分離令により気多大社から独立する際、多くの宝物が正覚院に移設。重要文化財の阿弥陀如来坐像も気多大社の大講堂に安置されて…
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- 能登
- 東嶺寺
- 昔は「花渓寺」と称していました。長家23代当主長連頼が、父・連龍の菩提(ぼだい)を弔うために、堂宇(どうう)を改築しました。そして1652(慶安4)年、連龍の法号「東嶺寺庵主」をとって東嶺寺と改称しました。藩政期は長家の菩提寺として保護され、境内左側の丘…
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- 能登
- 徳保の千本椿
- 徳保神社の社叢林(しゃそうりん)は、小規模ながら自然林が保存されており、特にヤブツバキの群生地が有名です。樹高12メートル、周囲1.6メートルの大木もあります。2月下旬から4月にかけて、あたり一面に真っ赤な花が咲き乱れることから「徳保の千本椿」と呼ばれて…
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- 能登
- 羽咋市歴史民俗資料館
- 北陸屈指の弥生遺跡として知られる吉崎・次場遺跡、「渚の正倉院」ともよばれる寺家遺跡、二つの国指定史跡をはじめとする縄文~中近世の遺跡などを紹介しています。能登一宮の気多大社や、真言宗の正覚院、曹洞宗の永光寺、日蓮宗の妙成寺といった社寺に遺(のこ)る…
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- 能登
- 水原秋桜子句碑
- 俳人として有名な、水原秋桜子が能登へ来遊した折、真浦海岸の高台に立ち周辺の景色を歌ったものです。碑石:地元産自然石、高さ約6メートル、幅5.5メートル、奥行4メートル碑文:「雁来るや岩礁ならぶ七ツ島」秋桜子
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- 能登
- 旧加賀藩士高田家跡
- 武士の暮らしが垣間見られる貴重な歴史的建造物
- 加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡。現在は藩政時代の長屋門を修復して一般公開しています。敷地内には大きな池を中心に配し、周囲をめぐりながら美しい景観を鑑賞できます。江戸時代の代表的な庭園造りである池泉回遊式庭園が広がっています。ほかにも、仲間…
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- 金沢
- 小松天満宮
- 小松城の鬼門を守った天神様
- 日本海へと注ぐ梯(かけはし)川のほとりに建つ小松天満宮は、加賀藩三代藩主前田利常公により明暦3年(1657)に、梅林院(宮司宅)とともに造営されました。その目的は、小松城、金沢城の鬼門の線上に正確に造営する事によって、怨霊から加賀藩を守ることだったといわれて…
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- 加賀
- 武家屋敷 寺島蔵人邸
- 加賀藩中級武士 寺島蔵人の屋敷。家屋・土塀・土蔵は江戸時代中期の武家屋敷の姿を伝えるものとして、池泉回遊式の庭園とともに金沢市指定文化財史跡となっています。
- 樹齢300年以上と伝わるドウダンツツジが四季を彩る庭園は見ごたえ十分。画人としても知られる蔵人の作品や伝来の書画工芸も鑑賞できます。邸内の茶室では、寺島家の家紋の形に作った干菓子で抹茶を味わえます。茶室から蔵人が眺めた景色をお楽しみください。
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- 金沢
- 室生犀星記念館
- 犀星文学の原点を知る
- 金沢三文豪のひとりで犀川をこよなく愛し、金沢を舞台にした作品も数多く残した室生犀星の記念館です。生誕地跡に建ち、犀星の作品や直筆の原稿、遺品を多数展示しています。
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- 金沢
- 尾﨑神社
- 1643年(寛永20年)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立されました。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築されま…
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- 金沢
- 長谷部神社(山中温泉)
- 開湯伝説ゆかりの長谷部信連を祀る
- 加賀市山中温泉ゆげ街道の、脇道の参道を登り切った所にあります。山中温泉を再興したと伝えられる鎌倉時代前期の武士、長谷部信連を祀(まつ)っています。山中温泉は約1,300年前、北陸行脚で江沼国菅生神社に参拝中の僧行基が発見したとされます。ところがその後、…
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- 加賀
- 金沢大学資料館
- 金沢大学とその前身各校にまつわる多様な資料を展示中!
- 常設展では、第四高等学校をはじめとする前身校由来の物理実験機器や各種標本などの教材資料、金沢大学創設期からの資料を展示中です。また、所蔵資料をテーマに沿って紹介する企画展や特別展も随時開催しています。
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- 金沢
- 伊須流岐比古神社
- 1653(承応2)年、加賀藩3代藩主前田利常の寄進により、伊須流岐比古神社は建立されました。神興堂(権現堂)と呼ばれていた拝殿は、1701(元禄14)年に造られ、両建物は県指定文化財に指定されています。
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- 能登
- 旧角海家住宅
- 北前船交易で栄えた船主の邸宅
- 黒島は、北前船の船主や船員の集落として栄えたところです。ここには多くの廻船問屋があり、角海家もその1つでした。幕末から明治中期にかけ7艘の北前船を所有し、北海道から大阪にかけて幅広く活躍しましたが、廻船業が下火になると漁業や金融業に生業をかえて活躍し…
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- 能登
- 禁酒の碑
- 老朽化した小学校の改築費45,000円を捻出するため、1926(大正15)年、河合谷村長・森山忠省氏の提唱で村を挙げての禁酒が同年4月1日から実施されました。このことが、当時の新聞で報道されると、多くの激励と賛辞が寄せられ、予定通り新校舎が同年7月に完成したのち…
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- 金沢
- 黒丸家
- 建物の古さや格式を持った間取り、屋敷構えから、中世の名主の系譜を引く家柄と考えられます。唯一の手がかりである過去帳には、明応9(1500)年の室町時代に始まる、60人以上の先祖が記してあり、古くから続く家であることを示しています。建築年代は明らかではありま…
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- 能登