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- 信行寺書院(和倉温泉) ※令和6年(2024年)能登半島地震の影響により当面の間臨時休業中
- 国登録有形文化財に登録されている信行寺書院
- 御便殿は明治42年(1909年)に東宮殿下(後の大正天皇)が和倉行啓の際の休憩所として建てられました。信行寺にある御便殿は、随行員の控室であった供奉殿の部分であり、今は信行寺書院となっています。もともと御便殿は本殿(御座所)と供奉殿が一体となっていました…
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- 能登
- 旧北国街道
- 松尾芭蕉も歩いた歴史ある街道
- 古くは北陸道と呼ばれました。律令制の制定で確定した東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、南西の7道の1つ。かつて、加賀藩主の参勤交代に使われ、俳聖・松尾芭蕉もこの道を歩いたといわれています。金沢城下の下口(北口)にあたり、城下町の北境だった春日町に、北…
- + detail_22006.html
- 大伴家持歌碑(羽咋市千里浜町)
- 歌碑には「之乎路(しおじ)から直越(ただこ)え来れば羽咋の海朝凪(あさなぎ)したり船梶(ふねかじ)もがも」と刻まれています。これは748(天平20)年、万葉の歌人大伴家持が越中の国司の身で能登をめぐった際、気多大社におもむく時に作った歌です。家持はこの…
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- 能登
- 琴江院
- 民話の寺としても有名で、所蔵している仏画が市指定文化財です。庭園は、高台と平庭で室町時代に造られたと伝わっています。
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- 能登
- 倶利伽羅源平古戦場
- 「源平盛衰記」では、1183(寿永2)年5月11日、平維盛を総大将とする平家軍と木曽(源)義仲の軍との、時の権勢を賭した源平合戦が、石川と富山の県境に位置する倶利伽羅山一帯において行われたと伝えられています。この戦いで義仲は巧みな包囲作戦で倶利伽羅峠に迫り…
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- 金沢
- 徳保の千本椿
- 徳保神社の社叢林(しゃそうりん)は、小規模ながら自然林が保存されており、特にヤブツバキの群生地が有名です。樹高12メートル、周囲1.6メートルの大木もあります。2月下旬から4月にかけて、あたり一面に真っ赤な花が咲き乱れることから「徳保の千本椿」と呼ばれて…
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- 能登
- 大垣山 勧帰寺
- 石山合戦で殉教精神に燃えて織田信長と戦った「能美四講」(能美郡220余の村で結成)に報いるために贈られた、親鸞聖人と顕如上人の影像軸「群中御影」(小松市指定文化財)が保管されている。
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- 加賀
- 如来寺
- 【浄土宗】天正年間、越中国砺波郷増山に岌台上人が如来寺を開山しました。その後寛文2年(1662)前田家五代藩主綱紀が生母清泰院(徳川光圀の姉)の位牌所として建立しました。伽藍焼失後、文化10年(1813)、十二代斎広により現在の御堂が再建されました。金沢市…
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- 金沢
- 片山津温泉
- 霊峰白山の姿を湖面に映す柴山潟の湖畔にある風光明媚な湯の町・片山津
- 片山津温泉は、霊峰白山を望む柴山潟の湖底から湧き出る温泉で、明治時代に行われた柴山潟の干拓によって誕生した温泉街です。温泉街の魅力は、晴れた風のない日には遠くに望む霊峰白山が湖面に映りこみ、夏は毎夜納涼花火大会が催され、冬にはシベリアから渡り鳥が訪…
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- 加賀
- 篠原古戦場跡
- 平家伝説が残る
- 1183(寿永2)年倶利伽羅の合戦で、木曽義仲の軍勢に追われた平維盛の一軍がはかない抵抗を試みた地です。この戦いで、平家の老将斎藤別当実盛は白髪を染めて出陣、源家の手塚太郎光盛の手に討たれて散りました。現在この地に首洗池、実盛塚、芭蕉句碑などがあります。…
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- 加賀
- こまつ曳山交流館 みよっさ
- 豪華絢爛な曳山を間近で!
- 毎年5月の「お旅まつり」では、曳山を舞台にした子供歌舞伎が250年以上もの間演じられています。現存する曳山は八基。うち二基を常設展示し、迫力ある姿を間近にご覧いただけます。また、「歌舞伎風メイク体験」などさまざまな和の体験メニューも取り揃えています。(…
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- 加賀
- 長谷部神社(山中温泉)
- 開湯伝説ゆかりの長谷部信連を祀る
- 加賀市山中温泉ゆげ街道の、脇道の参道を登り切った所にあります。山中温泉を再興したと伝えられる鎌倉時代前期の武士、長谷部信連を祀(まつ)っています。山中温泉は約1,300年前、北陸行脚で江沼国菅生神社に参拝中の僧行基が発見したとされます。ところがその後、…
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- 加賀
- 佐々木信綱歌碑
- 歌人・佐々木信綱(ささきのぶつな)が和倉を訪れたとき、万葉集で有名な大伴家持をしのんで詠んだ句です。「うた人の国守廻り見し日にも山きよらかに海しずかなりけむ」
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- 能登
- 赤倉神社
- 平安時代の末期まで、赤蔵山一本宮寺という修行僧の道場でした。120を数える小さな宿坊があったと伝えられています。また、藩政期には加賀藩家老、長家の手厚い保護の下「赤蔵大権現」として隆盛を誇りましたが、明治時代の神仏分離により、かつての社僧坊は取り壊さ…
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- 能登
- 雨の宮能登王墓の館
- 雨の宮古墳群に埋葬されていた出土品を展示しています。・展示品雨の宮1号墳出土品・・・銅鏡、石製腕飾類、刀剣類、その他雨の宮1号墳埋葬施設・・・粘土槨(かく)の実物大模型雨の宮古墳群の紹介パネル・映像ガイダンスロビー
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- 能登
- いしかわサイエンスパーク
- いしかわサイエンスパークでは、北陸先端科学技術大学院大学を核として、研究機関、支援機関が一体となって、新たな「知」と「産業」を創出します。
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- 加賀
- 親王塚古墳
- 崇神(すじん)天皇の皇子、大入杵命(おおいりきのみこと)の陵墓といわれ、周囲に濠(ほり)をめぐらしています。頂径20メートル、底辺67メートル、高さ14.5メートルあり、北陸で随一の大きさを誇っています。平家物語にも「小田中のシンノウヅカ」と書かれているよ…
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- 能登
- W坂
- 「W」の文字を描くようにジグザグになった階段状の坂道で、室生犀星のお気に入りの散歩道だったという場所です。藩政時代には、坂の上に石工の職人町があったことから「石伐坂」の名が付いたようです。
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- 金沢
- 茶室「仙叟屋敷ならびに玄庵」
- この茶室は、茶道裏千家15代鵬雲斎千宗室(ほううんさいせんそうしつ)家元が千家4代仙叟宗室居士300年還忌を記念して先祖の供養のため、1997(平成9)年4月21日に小松市へ寄贈されたものです。京都の北山杉を用いた木造瓦葺平屋建数寄屋造りで、家元が自らが「仙叟好…
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- 加賀
- 谷口吉郎・吉生記念金沢建築館
- 世界に向け建築文化の魅力を発信するミュージアム
- 建築とまちづくりをテーマとし、2019年7月に開館した「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」。東宮御所(現仙洞御所)や東京国立博物館東洋館などの設計を手がけた日本を代表する建築家であり金沢市出身の谷口吉郎氏の住居跡に建てられ、吉郎氏の長男であり、ニューヨーク…
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- 金沢