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- 仰西寺
- 【真宗大谷派】開山は泰澄大師。石川郡大野庄宮腰(現・金石)に建立し元明寺と称しました。その後、熊谷入道蓮生坊が再建し、天台宗を改めて念仏宗として仰西寺と呼ばれました。正応3年(1290)、本願寺三世・覚如上人が北陸巡業の際、浄土真宗に改宗し、仰西寺と改名し…
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- 高源院
- 【曹洞宗】開山の春尭和尚が初代利家の息女・福姫の縁類となったことを感謝して寛永18年(1641)、大豆田に建立しました。福姫の戒名より高源院と称しました。万治2年(1659)当地に移転。金沢西国29番の霊所です。毎年7月1日には「一ツ灸」が執行されます。
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- 高岸寺
- 【日蓮宗】前田家の重臣・高畠石見守の菩提寺で高畠家は初代利家の正室まつの実家です。境内にあった茶室「犀枩軒」は三代利常の命名。本堂・鐘楼・附棟札は金沢市の有形文化財。鐘楼は祠堂上にあり金沢城と有事際の合図で普段は撞けず「撞かずの鐘」として有名です。
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- 鞍月用水
- 犀川を水源として長町に流れる用水で、古くから人々の生活の場で重要な役割を果たしてきました。用水の街・金沢の一隅で、昔と変わらない情緒と風情をせせらぎの中に感じることができます。
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- 玉龍寺
- 【曹洞宗】加賀八家前田長種家菩提寺長種は、元尾張前田荘の領主、織田信長に逆って放逐されたが後に前田利家の家老となった人です。利家の長女幸姫の夫、三代利常の守役長種家代々の墓の他、幸姫の菩提を弔う宝篋印塔があります。寺宝「厨子入舎利塔」。
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- 希翁院
- 【曹洞宗】境内には竹田忠順や富永家などの墓があります。竹田忠順は火消役で寺社奉行や公事場奉行を務め、連歌を好んだ加賀藩家臣。富永助信、助盛らは代々藩に仕えた武士で香林坊に住み、「福は内、鬼も内」と言って豆まきをしたことで知られています。
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- 金沢城石川門
- 石川郡の方を向いていたと言われることからその名がついたと言われる石川門は金沢城跡の東に位置する重要文化財です。宝暦9年の大火によって全焼しましたが、11代藩主治脩の代に再建され、その後修理等を重ねて現在の姿になりました。豊かな緑の中、百万石の風格を漂…
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- 覚林寺
- 【浄土真宗本願寺派】文明3年(1471)蓮如上人が北陸巡化の際、八代慧燈大師が上人から六字の名号直筆と自作の木像を授けられました。上人の信徒覚林が一宇を五宝町 (笠市町)に建立。明治期に現在地に移転し、以後、向山の蓮如さんと親しまれています。
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- 開禅寺
- 【曹洞宗】慶長4年(1599)に、二代利長と共に高岡から移転。加賀八家の一つ長家の菩提寺であり、六代善連、七代連起、八代連愛ら一族が葬られています。長連龍の娘で、利長の養女となり、前田美作守直知の継妻となった久香院(求光院)の墓もあります。
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- 永安寺
- 加賀百万石の奥の院
- 永安寺は、およそ500年前に室町幕府の足利九代将軍義尚により創建され、約100年前に加賀藩主慶寧公の外孫にあたる当山開基霊光僧正により金沢の地に遷して造営されました。山号を鶴舞山と称し、兼六園の南東約5キロの高台に位置し、春は桜が、初夏はつつじが咲き乱れ…
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- 馬坂
- 宝町と天神町を結ぶ坂。昔、小立野と田井村を往復する農夫が使った馬道で、坂の途中には不動尊が鎮座しています。
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- 内川スポーツ広場
- 自然の中、親子で楽しめる遊びの場
- 清流と豊かな自然環境の中のスポーツ&レクリエーション施設です。遊びの広場の「レインボーモービル(100円/回)、「ドキドキスライダー(100円/回)」を始めとし、バーベキューなども楽しめます。広大な芝生広場やレストハウス(休憩所)もあります。入場料は、無料と…
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- 伝燈院
- 【曹洞宗】塔頭として羽咋市永光寺の西北の地に、五老峯「伝燈院」の名を付したことが起こりです。老朽化に伴い正保4年(1647)久外呑良禅師が金沢塩屋町に復興しました。寛文11年(1671)現在地に移りました。以後二度の火災で焼失したが再建しました。
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- 東山御嶽神社
- 【御嶽山】大正7年(1918)、霊峰木曽御嶽山の御神体を御嶽大神として奉りました。同時に不動明王を信仰し、山岳修業に身を投じ、滝行により一願不動尊の信仰に灯を点し続けています。不動尊は木像の立像で、一丈六尺の巨大明王です。
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- 蓮覚寺
- 【日蓮宗】桃山時代の秘仏・七面大明神絵像は、19年に一度の開帳。平常は、寛文元年(1661)在銘で、極彩色の七面大明神の木像を拝みます。三代利常の生母「ちよ」の生家・上木家歴代の墓や辰巳用水を開鑿した板屋兵四郎の墓と伝えられるものがあります。
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- 龍雲寺
- 【曹洞宗】輪島市にある大本山総持寺祖院内、芳春院の大昌文意和尚を開山とし、寛文元年(1661)土屋勘四郎が創建しました。勘四郎は藩主に忠誠を誓う証として、一向宗から禅宗に転宗しました。檀家・土屋又三郎は近世農政における日本三傑といわれています。
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- 國泰寺
- 【臨済宗】二代利長夫人・玉泉院の二十五回忌法要の折、小松から三代利常がお参りに訪れ、装束を当寺で改めたと伝えられています。境内の秋葉権現を祭る堂は火ぶせの神として尊信されています。タカジアスターゼ創製の高峰譲吉博士の菩提寺でもあります。
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- 常松寺
- 【曹洞宗】慶長16年(1611)、長門町(現・片町)にあった山崎長徳の下邸内に創建されました。越前南条郡高瀬の宝円寺住職・廣山を請うて開山としました。寛永12年(1635)現在地に移転しました。明治期に伽藍を焼失したため、江戸後期の坐禅堂を本堂としています。
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- 弘願院
- 【浄土宗】正保2年(1645)創建。延宝2年(1674)に再建した本堂は、江戸中期の貴重な建物です。寺宝には金沢市文化財指定の絹本刺繍の仏涅槃図や、画僧・心岩作の寒山拾得図などがあります。
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- 献珠寺
- 【臨済宗】慶安4年(1651)、加賀藩士・横山式部長治の妻・海元院が、母・献珠院のために母の帰依僧・遠山を招き建立しました。献珠院は初代利家の孫娘・肅姫です。無住の時代を経て元禄(1688~1704)末年、妙心寺の嵩山を招き臨済宗に復しました。
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