検索結果

1442件ありました
並び順
人気順(週間)
近い順
更新順
表示切替
タイル
リスト
マップ
おいしいいっぷく 鏑木
長町武家屋敷跡にある九谷焼専門店内の飲食店
風情ある和風建築の店内では、九谷焼などの販売や鏑木コレクションの展示、「おいしいいっぷく鏑木」では庭を眺めながら飲食も楽しめます。
おいしいいっぷく 鏑木
detail_22501.html
こなん水辺公園
水辺の野鳥や水生動植物の生息にふさわしい自然環境を保護し残すために整備された公園です。野鳥や水生動植物の観察池、せせらぎや圃場など河北潟周辺の風景を再現し、管理学習棟や多目的芝生広場とあわせて、子供から大人まで気軽に自然に親しめ、観察、体験を通じて…
こなん水辺公園
detail_22493.html
本妙寺
【法華宗】元和9年(1623)、越中高岡本陽寺の弟子・円重院日覚が創建しました。開基旦那は二代利長に仕えた中将という女中で、中将は日覚の姉にもあたります。境内には、加賀騒動の際のお貞(真如院)とかかわりのあった半田家の墓もあります。
本妙寺
detail_22488.html
圓證寺
【真宗大谷派】永正元年(1504)、藤原重之が出家し、貞珊と名乗って一宇を建立し、圓證寺と称しました。藤原重之は戦いに敗れ、河北郡戸室新保村に隠れ住んでいましたが、山号はその地名に由来するものです。慶安3年(1650)、火災により、現在地に移転しました。
圓證寺
detail_22475.html
瑞雲寺
【曹洞宗】寛正6年(1465)、州山が越前府中(福井県越前市)にて創建しました。天正18年(1590)、三代蘭室が金沢に来た際、初代利家の家臣寺西宗与が開基となって木ノ新保に建立しました。ソ連抑留者供養のためダモイ観音が安置され法要が行われています。
瑞雲寺
detail_22471.html
協同組合兼六園観光協会
兼六園観光協会は、兼六園内及び兼六園に隣する茶店12軒が集まり組織されています。時代の流れと共に観光の形態も変わってきましたが、金沢が世界に誇るこの名勝を訪れるお客様方のためのご休憩・お食事等の場所を提供し、また観光の案内役としての役割を各茶店が力を…
協同組合兼六園観光協会
detail_22447.html
了願寺
【浄土宗】妙善上人を偲んで建立した琵琶を弾く「妙音弁財天」の銅像が目をひきます。朝見大素の「かくるるに草は短し初蛙」の句碑や儒臣・由比勝生の墓、延命地蔵なども建っています。うら盆会や大せがき会、彼岸会など期日ごとに厳修している寺です。
了願寺
detail_22418.html
融山院
【曹洞宗】元和9年(1623)、丹波国円通寺の住持であった融山泉祝和尚が、加賀藩家老・横山長知の請を受け、八坂で松山寺を建立。その後隠居して結んだ庵が当寺の起こりです。3000坪を有する伽藍となるが、幕末の廃仏毀釈で堂宇は消滅しました。
融山院
detail_22412.html
妙圓寺
【日蓮宗】延宝町絵図によると、屋敷はほぼ30間四方であったようです。境内は420坪で、本堂・庫裡・山門などがあります。守護神として開運の神九曜星を祀り、明治時代に繁栄をきわめました。藩校の明倫堂で書を講じた河野四郎右衛門の墓があります。
妙圓寺
detail_22401.html
本法寺
【日蓮宗】お稲荷さんの寺。創建は、天正15年(1587)、常唱院日随上人開山。元は越中新川松倉にて圓通寺と称しましたが、後に金沢下堀川に移転し松倉山本法寺と改めました。三代利常による内証の祈願を成就。祈祷所に命ぜられ、現在の寺領を賜りました。
本法寺
detail_22399.html
本因寺
【法華宗】元和元年(1615)、京都本能寺第12世伏見宮日承の弟子・真浄院日得を開山に迎え創建されました。横山康玄乳母の菩提所となり、横山家の懇願にて寺地を拝領。北条氏直の重臣松田家や関流剣術の関重秀、加賀藩初代茶堂頭の市井友仙等の菩提所でもあります。
本因寺
detail_22398.html
本是寺
【日蓮宗】慶安2年(1649)本是院日理上人が創建。守護神「七面大天女」像は、日蓮宗総本山身延山久遠寺31世・一円院日脱上人より遣わされた身延七面山の尊像と同体。明和3年(1766)法華懺法会を厳修、金沢の日蓮宗寺院で受け継がれています。
本是寺
detail_22395.html
本性寺
【法華宗】天正14年(1586)、越前府中本興寺より教行院日宥上人を招き開創。墓所には加賀藩に仕え、富山県の国宝瑞龍寺、羽咋市妙成寺、気多大社、小松市の那谷寺、小松天満宮などを造営した名工・山上善右衛門の墓があります。
本性寺
detail_22394.html
徳龍寺
【真宗大谷派】鎌倉期、天台宗寺院として卯辰山に開山しました。浄土真宗に改宗後、元和2年(1616)前田家の命にて当地に移転しました。本堂は享保期(1716~36)の様式を残しています。金沢別院の本尊は当寺より移転されたものです。建築家故谷口吉郎氏の菩提寺でもあり…
徳龍寺
detail_22383.html
善妙寺
【日蓮宗】慶応4年(1868)、十三代藩主斉泰が卯辰山開発の折に庚申塚の土中より出現した日月天子像を日教上人に託し祭祀したのが起源です。明治12年(1879)に東京の善妙院を現在の地に移し立向山善妙寺と改号。文豪、泉鏡花ゆかりの摩耶夫人尊天像を安置しています。
善妙寺
detail_22375.html
菅原神社
妓楼が公許された文政3年(1820)、卯辰茶屋町で営業が行われました。その際、観音町西源寺の後に菅原道真を祀り、芸妓たちの鎮守の神としました。後に現在地に移転。太い梁の社殿や歴史を感じさせる狛犬が一対向かい合っています。
菅原神社
detail_22367.html
承証寺
【法華宗】寺内の鬼子母神堂には安宅関の沖合より浮かび上がったといわれる鬼面があり、年1回節分会に開帳されます。本堂板戸に描かれた絵は、江戸時代の画家・俵屋宗達の作とされています。境内には幕末に勤王説を唱えた藩士・福岡惣助の墓があります。
承証寺
detail_22359.html
持名寺
【真宗大谷派】合掌造りの真宗道場として、蓮如上人由縁の旧蹟として知られています。文明7年(1475)5月、上人北国巡錫の折、二俣から卯辰山麓の八兵衛の家を足がかりとして教化されました。そのため上人の「川越の名号」や書幅が寺宝として伝わっています。
持名寺
detail_22354.html
西方寺
【天台眞盛宗】当初、天正12年(1584)前田利家の息女菊姫を弔う菩提寺として金沢城付近に建立されました。(菊姫の肖像画を奉る。)元和2年(1616)当地に移築され、利家奉納「天神画」当寺に伝わる「飴買い地蔵」を安置し、藩政期より金沢城下すべての霊場に指定さ…
西方寺
detail_22348.html
西源寺
【真宗大谷派】開山は元亀2年(1571)、欽徳が尾張町に創立。本尊は、聖徳太子御自作と伝えられる高さ三尺の阿弥陀如来像です。寺宝には、聖徳太子画像一幅、七高僧画像一幅、蓮如上人画像一幅、阿弥陀画像一幅、親鸞聖人御絵伝四幅などを有しています。
西源寺
detail_22346.html
ページトップへ
「令和6年能登半島地震」の影響による掲載内容の注意点
当サイトに掲載の情報については、震災の影響により更新が追い付いていないものがありますのでご注意ください。