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- 松波城跡
- 能登の守護大名畠山氏の流れをくむ戦国末期の武将、松波氏の居城跡です。1577(天正5)年、七尾城は上杉謙信によって落城しましたが、ほどなく松波城も同じ運命をたどります。それから数百年後、城跡から枯山水の庭園跡が発掘されました。大小の小石を配置して水の流…
- + detail_6514.html
- 砂取節民謡碑
- 砂取節が県指定文化財に指定されたのを記念して、1966(昭和41)年に建立されました。
- + detail_5661.html
- 棚木城跡
- 舟隠しの入り江も見下ろせる城跡
- 能登の守護職畠山氏の庶流にあたる棚木氏の居城跡です。周囲には、城主の姫が入江に映える月をこよなく愛したと伝えられる月見御殿跡をはじめ、馬洗池、米流し坂、なめり坂、舟隠しなどがあり、落城の哀話を秘めています。
- + detail_5766.html
- 能登国分寺展示館
- 国分寺は、鎮護国家のために聖武天皇の詔(みことのり=天皇の命令)によって全国に建立されました。能登国分寺は、843(承和10)年に豪族の氏寺を転用した国分寺で、古代能登国の中心寺院として400年間栄えました。能登国分寺展示館は、国史跡「能登国分寺跡」に隣接…
- + detail_6099.html
- 来迎寺
- 真言宗の古刹(こさつ)です。814(弘仁5)年、嵯峨天皇の祈願により創建され、「勅定山」の山号を賜りました。平安時代末期、平家物語に登場する武将・長谷部信連(はせべのぶつら)の祈願寺となり、寺号を「来迎寺」と改めました。信連が高倉天皇から賜った観世音菩…
- + detail_6753.html
- 国登録有形文化財 旧丹後邸
- 織物の先進技術を築いた拠点
- 平成27年に寄附された旧丹後邸が7月21日、国登録有形文化財に答申されました。旧丹後邸は、麻織物で成功した丹後氏の住宅で、当時の先進技術を導入し、絹織物の生産拡大に努め、海外への販路拡大を図っていた頃の繁栄を物語っています。母屋は農家風の特徴をもつアズ…
- + detail_21457.html
- 春日神社
- 春日神社は、市役所そばの春日山麓にある、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と六神が祭られている古社です。境内には、樹齢700年を越えると伝わる老杉が生い茂り、拝殿に進む石段の右手には、大伴家持が能登巡国の折、歌ったとされる万葉歌碑があります。平安時代…
- + detail_4948.html
- 常椿寺のヤマフジ(夫婦藤)
- 能登町宇出津の高台にある巨樹で、樹齢およそ550年と言われています。昇龍(しょうりゅう)と臥龍(がりゅう)と名付けられた2本のヤマフジのうち、大きいもので根回り6.2メートル、胸高周囲4メートル、樹高25メートルにも達しています。2本のフジが互いに寄り添うように…
- + detail_5386.html
- 西方寺古窯跡
- 中世に使用されていたとされる「珠洲焼」の窯業遺跡で、ほぼ完全な姿を保っており、珠洲古窯の構造を伝える貴重な遺跡です。2008(平成20)年、珠洲市と能登町にある11カ所の窯跡と共に、「珠洲陶器窯跡」として国指定史跡となりました。
- + detail_5452.html
- 倒さスギ
- 真言宗の古刹・高照寺の門前にある老杉です。樹齢は約700年とも言われ、県の天然記念物に指定されています。杉の枝が地面を這うようにして、逆さに垂れていることから「倒さ(さかさ)スギ」と呼ばれるようになりました。八百比丘尼(はっぴゃくびくに)が昼食時に杉…
- + detail_5458.html
- 山口誓子句碑
- 「ひぐらしが鳴く奥能登のゆきどまり」。1961(昭和36)年、山口誓子が禄剛埼灯台を訪ねた際、台地に立って最果ての岬の感傷を詠んだ句碑です。
- + detail_6654.html
- 来入寺のミズバショウ
- 山里の風情に真っ白なミズバショウが咲き乱れます
- 1558(永禄元)年の創立と伝えられる来入寺にある、約2000株のミズバショウがいっせいに咲き乱れる姿は圧巻です。小川の流れと緑、そして素朴な集落のたたずまいの中で、一層華やかさを増しています。
- + detail_6755.html
- 珪藻土資料館・鍵主工業
- 珪藻土関係の資料が展示されているほか、珪藻土コンロ・七輪各種、炭火関連の道具を販売している。
- + detail_5089.html
- 行幸啓記念御歌碑
- 「なみたーぬなーをうらのゆうくれにおーきのとしまよこたへりみゆ」。昭和天皇が第13回富山国体にご出席された際に、和倉温泉の加賀屋にお泊まりになられ、その際に詠まれた歌が刻まれています。同じ歌を刻んだ石碑は加賀屋にもあります。
- + detail_5229.html
- 散田金谷古墳(国史跡指定)
- 直径21メートルの円墳で、9.85メートルの横穴式石室がある構造は、全国でも例が少ないとされます。桜と緑に囲まれ、詩情豊かなこの古墳には、歴史のロマンに魅せられた多くの見学者が訪れます。
- + detail_5491.html
- 高浜虚子句碑(七尾市)
- 1947(昭和22)年4月に建てられました。ホトトギス派の主宰として俳壇の最高峰にいた虚子が、和倉の波静かな海に吟じた一句です。碑文「家持の妻恋舟か春の海虚子」
- + detail_5733.html
- 水原秋桜子句碑
- 俳人として有名な、水原秋桜子が能登へ来遊した折、真浦海岸の高台に立ち周辺の景色を歌ったものです。碑石:地元産自然石、高さ約6メートル、幅5.5メートル、奥行4メートル碑文:「雁来るや岩礁ならぶ七ツ島」秋桜子
- + detail_6542.html
- 永禅寺山古墳群
- 永禅寺(蟹寺)の裏山にある、6基の高塚古墳の円墳からなっています。発掘調査された一号墳、二号墳は、5世紀後半から6世紀初めごろの築造と推定されています。
- + detail_6732.html
- 石動山資料館(※当面の間休館)
- 百年以上守られてきた仏像や古文書など、石動山の歴史を学べます。
- 明治の瓦解以来、百数十年以上にわたり、山内を中心に守り伝えられてきた仏像・仏具・絵図・古文書などの歴史資料およそ70点が展示されており、また、野外の史跡と一体となった石動山の歴史を学べる施設となっています。(※令和6年能登半島地震の影響による施設整備…
- + detail_5682.html
- 道閑公園
- 村民のために犠牲のなった義民
- 1656(慶安4)年、加賀藩3代藩主前田利常の農地改作法による検地に、農民と共に反対した十村頭の園田道閑にまつわる公園です。
- + detail_5404.html