大野日吉神社
社伝によると奈良時代、聖武天皇の天平5年(733年)に加賀の国の人・道高古という人が近江の国比叡山・大山咋(おおやまくい)の神の御神徳を感じてここに建てたとあります。この日吉神社の本宮である大津市坂本の日吉大社において、大物主の神を合祀されたことに鑑み、この日吉神社においても貞観2年(860年)大物主の神を合祀して山門、鐘楼、護摩堂などを建てて日吉山王大権現と呼んで隆盛を極めたと伝えられています。文治3年(1187年)源義経が頼朝に追われて奥州へ逃げのびる途中、この日吉大権現に武運を祈り、太刀一振り、横笛一管(いっかん)を奉納したといわれています。中世に入り長享2年(1486年)富樫の家臣・山川するがのかみが兵1500を率いて当地に来て、賊である、浦上九兵衛、馬飼喜八郎と戦った時、再び社殿、宝物、古文書が焼失したといわれています。そこで明応2年(1493年)4月、大野町の人達の寄進によって本殿・拝殿だけが再建されましたが、昔の面影はなく、この時多くの信者達が離れて行ったと伝えられています。江戸時代には代々の加賀藩主も参詣に訪れて祈祷、寄進などがあり社殿の再建も行われ鎮座千年祭、千百年祭なども挙行されています。1842年(天保13年)に建てられた鳥居には、安全を祈る北前船の船主の名が刻まれています。明治七年になって、以前は山王大権現と呼んでいた名称を日吉神社と改め、神仏混淆から完全に神社としての道を歩みはじめました。日吉神社には加賀のからくり師と呼ばれて大野に住んだ、中村屋弁吉(通称:大野弁吉)が作った獅子頭や狐の像などが大切に保存されており、絵馬にも佐々木泉玄筆のものなどが残されています。前方の曳山館の曳山や、山王悪魔祓い、獅子舞、奴行列が町中を巡る夏祭りは、毎年7月下旬に盛大に行われます。
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