専長寺

【真宗大谷派】開基は平家の末裔・波佐場次郎衛門賢周が戸水村に無量寿寺をおこし、寛正6年(1465)、宮腰に移り、仲之道場と称したことにはじまります。文明4年(1472)本願寺八世蓮如上人より「法運専ら長久なるべし」として「専長寺」の寺号を賜りました。貞享四年頃の宮腰を描いた「宮腰町絵図」によれば、当時横町に寺地があったことがわかります。本堂は正徳元年(1711)の火災を始めとし、度々類焼し、その後加賀藩家老横山家の屋敷を譲り受け、仮本堂とし、寛政9年(1797)隣地に本堂を再建し現在に至っています。座敷と庭は横山家所有の当時のものです。昭和12年(1937)、専長寺二十世住職の長女が長野県須坂市勝善寺の井上演良師のもとに嫁入りの折り、親鸞聖人のお骨の一部を専長寺に分骨していただき、三重の小塔にお納めして本堂に安置してあります。平成21年(2009)に、典型的な浄土真宗様式で建てられた本堂や近世の瓦の生産・流通を示す貴重な歴史資料の鬼瓦一対、金沢市では類例の少ない平唐門の山門、銭屋五兵衛・隠居所の茶室を移築したと伝えられる松帆榭が金沢市有形文化財に指定されました。


タグ

基本情報

所在地
〒920-0337 石川県金沢市金石味噌屋町6-37
アクセス(公共)
北陸鉄道路線バス「金石西」バス停から徒歩約5分

※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。

マップを表示

周辺情報

周辺の飲食店を探す
周辺の宿を探す
宿泊プランを一括比較オンライン予約
ページトップへ
「令和6年能登半島地震」の影響による掲載内容の注意点
当サイトに掲載の情報については、震災の影響により更新が追い付いていないものがありますのでご注意ください。