九谷焼の聖地、加賀を巡る旅
九谷焼のふるさとを訪ね、本物にふれる
石川が世界に誇る伝統工芸のひとつ「九谷焼」。江戸期に山中温泉九谷の地で始まり発展していきました。発祥の地ならではの九谷の歴史を辿りながら、本物に出会う楽しみを見つけます。
- 所要時間
- 1日コース
- 主な交通手段
- 車、徒歩
このコースでめぐるエリア

九谷焼窯跡展示館
江戸時代前期に作られた”古九谷”のような色絵磁器を復活させようと、大聖寺の豪商豊田伝右衛門が江戸時代後期に築いた吉田屋窯の跡(国指定史跡)を、発掘された状態のまま公開しています。
施設内には他に、昭和15年に作られた九谷焼としては現存最古の登り窯(加賀市指定文化財)と、明治30年代に移築され、九谷焼窯元の住居兼工房として使われた築200年程の古民家(加賀市指定文化財)があり、現在は展示棟として使用されています。
展示棟内では、九谷古陶磁の数々を紹介する企画展(年4回開催)や、絵付体験、ロクロ体験も行っています。 (体験は要予約)
山代温泉 古総湯
明治時代の総湯を復元 山代温泉湯の曲輪のシンボル
明治時代の総湯(温泉の共同浴場)を復元した「古総湯」が山代温泉の湯の曲輪に誕生しました。
こけら葺きの屋根と二階の窓が印象的な外観、内装には当時、最先端だったステンドグラスが湯船に鮮やかな光をおとし、壁は拭き漆、タイルにはこれまた当時のままの絵柄を忠実に再現した九谷焼がほどこされています。
入浴方法も当時のままを体験していただくため、浴室にはカラン・シャワーなどの設備はなく、かけ湯をして湯船につかります。
お湯は源泉かけ流し。 山代温泉総湯との共通入浴券もあります。
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魯山人寓居跡いろは草庵
若き魯山人の息づかいを感じる… 魯山人寓居跡 いろは草庵 金沢の文人・細野燕台の食客となった魯山人は、大正4年秋から翌年春までの約半年間、山代温泉に滞在し、菁華窯などの刻字看板を彫った。 その寓居を当時そのままに公開しているのが、「いろは草庵」である。
仕事場や書斎、囲炉裏の間が見学できるほか、土蔵を改装した展示室では作品も展示している。
山代温泉の旦那衆は、当時まだ無名であった魯山人の才能を認め見出した。 この山代温泉で魯山人は燕台の煎茶仲間でもある初代・須田菁華から陶芸の手ほどきを受ける。 以来、刻字看板制作の傍ら菁華窯に通い作陶に力を注いだ。 山代は、魯山人の才能を開花させた地ともいえるだろう。
後年この別荘をたびたび訪れた魯山人は、旦那衆と書画、骨董について語り合い、旬の食材を用いた料理を味わい、美食談義に花を咲かせたという。 晩年には、「私ハ先代菁華に教へられた」(昭和30年・金澤美術倶楽部の講演の演題)と述べている。亡くなる4年前のことである。 故郷をもたない魯山人にとって山代の地は、心許せる居心地のよい場所であったにちがいない。
石川県九谷焼美術館
石川県九谷焼美術館は、白山を望む加賀平野の南端にあります。青手の間、色絵五彩の間、赤絵金襴の間等、雰囲気の異なった展示空間を持ち、江戸時代初期の彩色磁器「古九谷」をはじめとして、およそ360年にわたる九谷焼の名品を展示しております。
古九谷の杜親水公園から、館内のミニ庭園まで、一貫性を持たせて庭園美術館として楽しむことができます。
※展示入替のため臨時休館日があります。ご注意ください
九谷磁器窯跡
九谷焼が初めて作られた場所
石川県を代表する焼き物「九谷焼」が初めて作られた場所です。日本最初期における磁器生産の様相を知りうる遺跡として、1979(昭和54)年に国史跡の指定を受けました。
江戸時代前期に九谷第1・2号窯が、江戸時代後期にはこれを再興して吉田屋窯が築かれ、数多くの陶磁器が生産されたと言われています。
1965(昭和40)年には3基の窯跡の発掘調査が実施され、その規模や構造が明らかとなりました。
このほか、江戸時代前期の遺構として、上絵付けを施すための窯である「絵付窯跡」や、絵付けのための顔料精製の痕跡を示す「朱田(しゅだ)」が、江戸時代後期の遺構として、粘土生地精製のための施設である「水簸(すいひ)遺構」や工房建物跡が確認されています。
さらに戦国時代の遺構群も確認されており、山中漆器のルーツといわれる「木地工房跡」や、小川を利用した水洗トイレの遺構も存在します。