誘惑する歴史建築
自然の織りなす風景が魅力とされる能登ですが、その真実を紐解けば、立国の歴史は金沢よりも古く、海路が主流だった時代には様々な文化が往来し、今の能登を創っています。能登に遺された数々の歴史建築を訪ねれば、また異なる能登の姿に出会えます。
總持寺祖院
1,321年、瑩山紹瑾禅師によって開創。醍醐天皇の勅願所に定められ るなどして、全国にその末寺16,000余を数えるほどに隆盛を極めました。明治31年の大火で七堂伽藍の大部分を焼失したことで、布教伝道の中心を横浜市鶴見に移しましたが、祖廟として次々に堂宇が再建され、風光幽玄な曹洞宗大本山の面影を偲ばせ、一大聖地として現在に至っています。 境内の中央に威容を誇る山門、明治の大火で焼失を免れた経蔵経蔵、山岡鉄舟が大書した襖に出会う仏殿、総欅造りの大伽藍が見事な法堂。禅の修行道場として日々の行持と向き合いながら、開かれたお寺として地域のイベントや交流も続いています。
永光寺
1,312年、瑩山紹瑾禅師によって創建。後醍醐天皇をはじめ、4代に渡り勅願寺を務め隆盛を極めますが、応仁の乱で兵火に遭い全山を焼失。現存の伽藍は江戸時代の再建で、円相型回廊式の伽藍配置は「永光寺式伽藍」と称して、曹洞宗建築様式の典型となっています。 度重なる災禍に遭いながらも多数の文化財を守り受け継ぎ、山岡鉄舟の襖書をはじめ、国指定重要文化財6点県指定文化財257点が収められ、アートの香りを感じるために訪れる人も増えているお寺です。
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能登の禅、その布教の足跡を辿る
能登の禅は、瑩山禅師よりはじまりました。福井の永平寺から金沢の大乗寺に移り、その後に能登へと布教の足を延ばした瑩山禅師。羽咋市に寺域の寄進を受け仮の庫裡(現在の豊財院)を建て、永光寺を開山するに至ります。南北朝時代には後醍醐天皇の帰依があり、1,479年には朝廷の祈願寺となり、ますますその権威を高めていく永光寺。その途次に、輪島市のお寺を禅院化して總持寺となりました。總持寺が開かれて数年後、峨山禅師が永光寺と總持寺の住職を兼ねることになりました。峨山禅師は永光寺で早朝の勤めをした後、暗がりの中を約52km離れた總持寺まで山道を越えて行き、總持寺でもまた勤めを果たしたとされ、この道は「峨山道」と名付けられ、今も語り継がれています。 慎ましやかな佇まいをした豊財院は、日本最古の馬頭観音立像をはじめ、3体もの国の重要文化財に指定された立像を保存。永光寺はまさに文化財の宝庫で、重要文化財に指定される彫刻、絵画、書籍、工芸品などは20点以上。とりわけ目を惹くのが山岡鉄舟の襖書です。そして大本山總持寺祖院は、かつて全国に末寺1,6000余りを数え、各地から集った修行僧は、禅の教えと共に、輪島塗という伝 統文化も、広く日本に伝えていきました。
妙成寺
1,294年に日像上人により建立され、桃山時代に加賀国に入った前田利家が寺領を寄進したことを機に、約70年かけて各種建造物が整えられました。境内の建物配置の特徴は、本堂を中央においた3堂横並びの配置にあり、これは古の法華宗寺院の配置を伝える貴重なものです。妙成寺で最も有名なのが北陸唯一の五重塔。実に10棟もの国重要文化財建築が遺されている境内でひときわ目を惹く存在です。妙成寺にれほど立派な建造物が遺された背景には、加賀藩3代藩主前田利常の母である寿福院の存在があります。彼女がここを菩提寺と決め、本堂をはじめとした諸堂の建立に尽力したのです。そして今も寿福院は、妙成寺中興の祖と伝えられています。
気多大社
かつて、気多神宮(石川)、氣比神宮(福井)、鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)は、日本四社と呼ばれて多くの崇敬を集めたとされています。 中世以降は能登国一宮とされ、中世・近世の間は畠山氏・前田氏など歴代の領主からも手厚い庇護を受けました。現在も境内には、建仁寺流の加賀藩御大工山上善右衛門嘉広の作と伝える拝殿、神仏習合の影響を濃厚に伝える本社本殿、桃山時代に建立された神門など、5つの建物が国指定重要文化財となっています。気多神社の社叢は、神域「入らずの森」として神聖視され、入らずの森の中に2柱の夫婦神様をお祀りしており、近年は縁結びの神社として遠方からも多くの人が足を運んでいます。
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山上善右衛門の名建築に、会いに行く
山上善右衛門という江戸時代の建築家をご存じだろうか? 加賀藩の御大工として前田利常に仕え、妙成寺、気多大社、那谷寺、小松天満宮、国宝瑞龍寺など藩内の有名なお寺やお宮を数多く建て、それらの多くが今も現存しています。山上善右衛門の建築はそのフォルムも魅力ですが、敷地の特徴を絶妙に生かしたところも楽しめます。たとえば妙成寺は、総門、楼門、五重塔が一直線上に配され、地形を上手く利用して天に向かって登っていくイメージを創り出す世界観が感じられます。宗教建築ではこうしたコンセプトや世界観を楽しむ面白さがあります。さらに妙成寺を象徴する五重塔を見上げればその美しさは圧巻です。電気も油も使わないで、これだけのものを造り上げ、何百年という時間を経てもそのままのカタチで狂いなく残っていることに感銘を受けます。さらに妙成寺からクルマでわずか5分のところには気多大社があります。この拝殿も山上善右衛門の作とされます。天然記念物「入らずの森」を背景にして、4面に切目縁を巡らして佇む姿が印象的です。山上善右衛門という稀代の建築家を追って旅する能登。建築好きには堪らない時間です。
青林寺と信行寺
1,909年(明治42年)、後の大正天皇(東宮殿下)が和倉行啓の際に休憩所として建てられた御便殿が青林寺に移築され、国指定登録有形文化財となっています。屋根には洋風のトラス構造を用いて空間を生かし、内部は格式高い折上げ格天井が施され、庭と客殿が一体になって見事な景観を創り上げています。本堂で「坐禅」や「写経」も体験することができるのも魅力的です。 また、近くの信行寺には随行員の控室であった供奉殿が移築され、信行寺書院として遺されています。和倉へ訪れた際は、2つのお寺をはしごすることをおすすめします。