鼠多門 鼠多門橋
尾山神社と金沢城をつなぐ門・橋が復元!
鼠多門は、金沢城の西側の郭(くるわ)である玉泉院丸に位置し、水堀をまたぐ木橋(鼠多門橋)により接続される金谷出丸(現在の尾山神社境内)からの出入り口として機能していた二階建ての櫓門です。
城内の他の城門と同じく、屋根は木型を薄い鉛の板で覆う鉛瓦、外壁上部は白漆喰(しろじっくい)塗りで、腰壁は海鼠(なまこ)壁仕上げとなっていますが、海鼠壁の平瓦の目地には、黒漆喰(くろじっくい)が用いられ、他の門とは異なる特徴的な外観であったと考えられます。
創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期にはすでに存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。
明治4年(1871)の廃藩後は、明治17年(1884)に火災により焼失し、面影は失われていました。
2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、令和2年7月に完成しました。
鼠多門完成により、尾山神社から鼠多門橋を通り、石垣の上に二階建ての櫓を備えた門を抜け坂道を上がると玉泉院丸の敷地に至ります。
城内の他の城門と同じく、屋根は木型を薄い鉛の板で覆う鉛瓦、外壁上部は白漆喰(しろじっくい)塗りで、腰壁は海鼠(なまこ)壁仕上げとなっていますが、海鼠壁の平瓦の目地には、黒漆喰(くろじっくい)が用いられ、他の門とは異なる特徴的な外観であったと考えられます。
創建年代は明らかになっていませんが、江戸時代前期にはすでに存在していたことが絵図等から判明しており、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759)の大火でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。
明治4年(1871)の廃藩後は、明治17年(1884)に火災により焼失し、面影は失われていました。
2014年より復元に向けた発掘調査や絵図・文献等調査を行い、令和2年7月に完成しました。
鼠多門完成により、尾山神社から鼠多門橋を通り、石垣の上に二階建ての櫓を備えた門を抜け坂道を上がると玉泉院丸の敷地に至ります。
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基本情報
- 所在地
- 〒920-0937 石川県金沢市丸の内1-1
- 電話番号
- 076-234-3800
- FAX番号
- --
- 営業時間/期間
- 9時~16時30分 (最終入館16:00)
※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。