平時忠歌碑

能登へ配流となった平時忠が、荒涼とした中で、一族の行く末を思って歌った和歌が刻まれています。1189(文治5)年2月24日、時忠は都へ「還る」こともなく、淋しく配所の大谷で没しました。能登で生まれた時忠の子、時康は則貞家となり、同じく時国は時国家の始祖となったと伝えられています。

碑石:地元産自然石、高さ1.1メートル、幅1.6メートル、奥行35センチ
碑文:平時忠歌「白波の打ち驚かす岩の上に寝らえて松の幾世経ぬらん」山口誓子書

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カテゴリー
#歴史・文化

基本情報

所在地
〒927-1321 石川県珠洲市大谷町則貞
お問い合わせ先
珠洲市観光交流課
電話番号
0768-82-7776
FAX番号
--
アクセス(車)
のと里山空港から車で60分
アクセス(公共)
すずバス 大谷飯田ルート「則貞」下車、徒歩5分
駐車場
30台(無料)

※施設情報が変更される場合があります。最新情報は各公式サイト等をご確認ください。

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